ヘンデル作曲『時と悟りの勝利』について

 オラトリオ『時と悟りの勝利』は、若きヘンデルのイタリア修行中、ローマ滞在のさなか、1707年に作曲されました。
 ご承知のとおり、ローマはカトリック教会の総本山でしたから、文化的にも保守的な土地柄で、当時は教皇令によりオペラの上演が禁止されていました。そこで、オペラに代わるものとして大規模なオラトリオが作曲、上演されていたのです。音楽的にはオペラとほとんど変わりのないものであっても、舞台上の演技を控えて、テキストも非世俗的なものであれば、劇場で演奏することが可能でした。この『時と悟りの勝利』もまた、そうしたオペラ代用作のひとつということができます。
 台本を書いたのは、ローマにおけるヘンデルの庇護者の一人であったパンフィーリ枢機卿でした。
 登場するのは、擬人化された美、快楽、時、悟りの四者の寓意的存在。
 快楽は美に対して、自分に忠実であればその若さと美貌は衰えることがないと言い、それを受けた美は快楽を決して裏切ることはないと誓います。
 けれども、地上の形あるものすべてを支配する時と、形あるものはやがて滅びゆくことを知っている悟りが、美に対して一時の快楽に慰めを見出すことの愚かを説きます。
 二つの価値の間で揺れ動く美ですが、「愚かさによる後悔の涙の河はやがて行き場を失うが、天国から見ればそれは真珠にも等しいものである」と悟りから告げられ、ついには快楽と袂を分かつことを決意する、というのがおおよその筋書きです。
 聖職者による作ですが、題材は聖書ではなく、内容も宗教的というよりは倫理的当為論を説くもので、歌詞も思弁的かつ説教調でお世辞にも決して楽しい趣のものとは言えません。
 しかしながら、冒頭述べたように、台本はオペラの代わりとして、娯楽としての音楽を上演するための方便なのですから、少なくとも作曲家や聴衆にとって内容はさして重要ではなく、味わうべきはどこまでも「歌」のもたらす「美」と「快楽」であるというのは皮肉なことです。
 事実、ここでヘンデルが書いている旋律はいずれも素晴らしいもので、青年時代の作とはいえ、若書きの未熟さを感じさせるようなものは一切ありません。
 それどころか、後のオペラにも転用されるヒットメロディーが数多く生み出されているのが特徴なのです。(そのもっとも代表的なものは、オペラ「リナルド」のアリア「涙流れるままに」に転用された、快楽が歌う「棘は棘のままで」でしょう)事程左様に、どの曲が後年何の作品のどこに転用されているかに注意しながら聴くのも、このオラトリオの醍醐味のひとつと言えるかも知れません。
 また、快楽の王国を描いた第1部後半の器楽曲(ソナタと命名されていますが、いわゆるシンフォニアに該当するもの)は、これ一曲だけで堂々としたオルガン協奏曲に仕上がっています。
 さらに全編の最後を飾る、美が歌うしんみりしたアリア「選ばれし天の使者よ」は、ヘンデルが生涯書いた旋律のうち、もっとも美しいものの一つではないかと思えます。
 このように魅力と変化に富む青年ヘンデルの傑作ということもあり、多くの演奏者が取り上げています。

 なお、ヘンデルはこのオラトリオを、生涯二度にわたり大幅に改作しています。
 今回取り上げたのが1707年に作曲された最初の版(HWV46a)ですが、英国に渡った後の1737年には、合唱も含めて曲を加筆して全V部の大作に作り替え、題名も「時と真理の勝利」と改題したもの(HWV46b)があり、さらに晩年の1757年には、歌詞を英語に変えて部分的に入れ替えた「時と真実の勝利」(HWV71)という版が存在しています。系譜をたどれば改作ということにはなるものの、作風も、アンセムのような英国風の軽やかな曲が多くなり、じっさいに耳にしてみると、まったく異なった別の作品という印象が正直なところです。


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